これまでいろんな人と会ってきたが、不思議なことに目が死んでいる人と生きている人がいる。
目が死んでいる人は目がぼやーんとしていて、目に輝きと言うか、力が感じられない。
目が生きている人は目がくっきり?していて、目だけは少年のような目をしていて、力が感じられる。
お金を持っている人が目が輝いているわけでもないし、貧乏人だから目が生きているわけでもない。
今日も山に登ったが、頂上で目が生きている人と会話をした。
私はその日、1回登っただけだが、その日とは既にその日に4回登っているという…
私よりも年齢が一回り以上離れている人だ。
目が生きていても死んでいても私はどっちでもいいわ、という人は全然良いんだけど、私はいつまでも目を輝かせていたい。何よりその差って何が原因なのかに興味がある。
少し語弊があるかもしれないが、「やりたいことをやっている人」は目が輝いている傾向にある。(あくまで傾向ね)また思考停止せず、常に変化をしている。
「やりたいことをやる」というのは私の感覚だと、社会としっかり繋がっているというのが条件なような気がしている。
私は魚釣りが好きだから、それは確かにやりたいことだ。やりたいことなんだけど、たまにやるからとても楽しいだけであって、あくまでそれは趣味である。
もちろん、魚釣りを職業にしている「プロ」はいる。それはまさにやりたいことを仕事のレベルまで引き上げた達人。
そして面白いのが、必ずしも目が輝いている人が高所得者ではないということも興味深い。今日話した人も「お金を稼ぐこともできたが、それは自分のやりたいことではなかった」と言っていた。
何だか「典型的な成功者」と聞くと、超エリートで都心で働いていて、車もかっちょええやつに乗っていて、高所得者、みたいなイメージが私は湧くが、そういう生き方もあると思うが、本来自分に備わっている「やりたいこと」がそれと一致するとは限らない
確かにお金はたくさんあったほうが楽しいし、周りの人を喜ばすことができるかもしれないが、自分が求めていること以上に必要なお金というのは何なんだろうか、またそれに使った時間は何なんだろうかと思ってしまう。
何が言いたいのかよくわからないと言われそうだけど、自分の大切なもの、大事にしたいことってなんだったっけ、ていうことが言いたい…のかな?笑