エイチマンのブログ

トライアンドエラーそしてサクセス

ユーチューバーの成長術

皆さんユーチューブ観てますか?

私はユーチューブを好んで観ています。

若い世代ほどテレビよりユーチューブの方を観ている人が多いのでは?

ユーチューブの内容をテレビで取り上げるという逆転現象すら起きてますね。

ユーチューブはここ数年で急速に浸透してきました。

 

ユーチューバーはもともと素人さんです。

今ではメキメキ成長してユーチューブで飯を食ってる人も多くいるようです。

 

私も好きで昔から観ているユーチューバーがいます。

彼は今ではそのジャンルではなかなかの人気を誇っています。

そのジャンルでプロと言われている人よりも視聴回数が多かったりします。

彼からは学ぶことが多いです。

 

彼が最初に作った動画は完全に素人が作った感満載のものでした。

そしてコメントにはひどい言葉がたくさん並んでいました。

面白くないだとか、太りすぎだとか、つまんないだとか好き勝手に言われていました。

 

ただ彼は動画の投稿を続けました。多分、10年近くやっていると思います。

そしてその動画の質は日に日に良くなっていきました。

 

そのコメントに反論するようなことなく、それを良い意味でアドバイスと捉えて動画作成に取り込んでいったように思われます。

 

動画を作る側は本当に大変です。

10分の動画を作る後ろにはかなりの労力がかかってます。

 

ダイエット動画みたいに長時間の努力をを10分にまとめてるから観る側は楽しく見れるわけです。そして多くの人はそれに対して簡単にコメントするわけです。

 

挑戦する側は常にいろんな批判や妬みを受けやすくなります。

また本人も他人と違うことをしているので不安になるときもあります。

それでも前進し続けるととんでもないご褒美や成長があったりします。

今ではそのユーチューバーのコメント欄にマイナスな事を書き込む人はほとんどいません。健気に頑張る姿にアンチコメントをした人も変わっていったのかもしれません。

 

だから私たちにも言えることは逃げずに場数を踏み続けることかと思います。

諦めずに顔を出し続けること。全てが訓練だと思えば、失敗も学びに繋がりますね。

会社を辞めるべきか

知り合いから電話がかかってきた。

その同僚の人が給料が上がらないから辞めるそうで、その人を慕う私の知り合いも辞めるかどうか迷っているそうだ。ちなみに私は現在、無職です。

私は大学時代を含めると3社の会社を経験している。

 

マイナスの辞め方とプラスの辞め方があると思う。

マイナスの辞め方というのはあまり説明するまでもないが、自分の能力不足による「逃げ」が原因のもの。

今の業務が辛い、成績が上がらない、景気が悪い…

など原因を他に置いている辞め方はあまり将来にプラスにならない。

どこかで同じ事象に突き当たる。それは自分の能力不足が招いている事なので他の会社に行った所で同じ事象にぶち当たる。その壁を超えることができれば、仕事も面白くなり、次のステージが見えてくる。

 

プラスの辞め方は成長を求めて退職する辞め方。

やりたいことが見つかった!

どんな状態になってでもいいからそれを成し遂げたい!

もっと成長してもっと給料が欲しい!その為に留学したい。

若いうちはチャレンジが全て学びに繋がる。その時の判断が悪かったとしても学びが手に入る。それは変化しなければ得られないものだ。

 

辞めていく人に対して後ろ指を指す人間は成長する事を放棄した人間だ。

 

市場原理からいって出来る人間に対しては報酬が高い。

それはその人が努力をした対価だから年収が上がっていくのは自然だと思う。

若いうちにチャレンジしなければいつするのかという感じだ。

そうこう言っているうちにオヤジになってしまう。

こんな人間になりたいと思って行動しない限り、理想には近づけない。

こんな人間になりたいとすら思わない人間は何者にもなれない。

意図して行動したことしか実を結ばないと思う。

 

話を戻すが、会社を変えない限り、給料は期待していたって変わらない。

利益を還元するような賃金体系なら本人の努力で変わるかもしれないが、整備されていないような会社であれば、上がらない。というか経営上、そんなころころ変えられない。経営者はそんなことは従業員に対しては言いにくい。

 

会社と従業員の成長は競争であり、個人の成長が上回れば勇気をもってそこを飛び出すのは従業員の責任だ。言い換えるなら経営者と従業員の競争だ。従業員は勇気があればリスクをとって飛び出すべきだ。

リスクが怖ければ、そこに留まっていればいい。そこに留まるというのも本人の選択。

日本人は真面目で素晴らしい美徳もあるが、勇気を発揮すべきところでは発揮すべきだ。

 

20代、30代は思いっきりチャレンジすべき。

40代、50代ではチャレンジしたくても出来なくなってくる。

家族が出来たり、守るべきものができるからだ。

「あの時チャレンジしていれば俺の人生はどうなっていたか」とオヤジになってから言うのは絶対に嫌だ。

 

チャレンジは若者の特権なのだ。

お金は取り返せるが、時間は永遠に帰ってこない。

仮想通貨(よくわからないものについて多くの人は悪く言う)

少し落ち着いたが、仮想通貨が世の中を賑わせている。

私も口座を作って少額だが、やってみることにした。

この事を友人に話すと「あんなもん止めておけ」という感じだった。

両親にも反対されたが、面白い事にやったことない人は大抵悪く言う。

それはおそらく自分にとって得体の知れないものは怖いからだ。

僕もそれには同感だし、そう思う事だって世の中にはたくさんある。

多分、それは人間の本質なんだと思う。

 

でも事実は一つだが、解釈は無数に存在している。

私が仮想通貨取引を始めたいと思ったのはこれからのお金の動きとITについて詳しくなりたいと思ったからだ。

億り人になれたらラッキーだが、そんなつもりはない。

労働で稼ぐお金が一番だとも思っている。

 

ただ仮想通貨取引を始めるにあたって仮想通貨に関する書籍を4冊読んでみた。

FXに比べて仮想通貨はまだまだ未知で書籍も少なかった。(地方だから!?)

書籍の内容もFXのやり方からそのまま持ってきたような内容が多かった。

本を読んだら何となくだが情報は仕入れることはできた。

 

投資の面白い所はここにあると思う。

勉強になるのだ。例え、投資額が少なくても自分がやってみると話に参加することができる。やったことがないと話にも参加できないし、知ったからこそ次があったりする。

ニュースから流れている横文字がわかるようになるのだ。人間は自分の金が絡んでいると敏感になる(笑)

ブロックチェーン」とかね。

 

書籍の中にこれから必要なものということで下記が載っていた。

 

①英語力

②ITの知識

③お金の教養

④行動力

 

知らないからやらない、良く分からないからやりたくないというのは本人の怠慢だと思う。家でごろごろしている時間があるなら口座だけでも作ってみればいい。

私は地方都市に住んでいるが、時代の変化にはついていきたい。

これだけスマホが浸透して情報は地球上で均質化されている。

地方だから良く知らないというのはいなかっぺだ。ださいと思う。

逆に言うと地方で知っているからこそ希少価値が出たりする。

変化についていく人か、変化に置いていかれる人かは本人の選択だ。

 

【ここから仮想通貨についての私の予想】

これから仮想通貨というのは現在より浸透するのではないかと思う。

お金は信用なので世の中に認められれば、価値がつく。

使う人が増えれば、価値が出る。

 

「金(ゴールド)」はただの鉱物にも関わらず、世界中の人が価値を認めているから価値がある。

 

おそらく紙幣だってそうだ。おそらく使い始めの頃はこんな紙じゃなくて金をよこせ!みたいな人はいたんじゃないかな。次はこんな紙じゃなくて仮想通貨をよこせになるかもしれない。

 

投資は自己責任でなくなっても良いお金でやるのが大前提です。

私は授業料として投資をしているので儲かれば、更にラッキーです。

 

皆さんも良く分からないものに手を出して、既知のものにしてしまいましょう。

行動が全てです^^

周りの雑音が聞こえない程の集中

目標達成に本当に向かっている時、周りの雑音や雑事が全く気にならない時がある。

それは集中しているからなんだけど、大人になってそういう機会が減った気がする。

 

目標を達成しようとする時、周りからはいろんな事を言われる。

頑張ってね、応援してるよ。きっとできるよ!というポジティブな言葉をかけてくれる人間もいれば、

そんなことはできない、やる意味がない、とマイナスな言葉をかけてくれる人もいる。

 

他人の口にはチャックができないと思っておいた方がいい。

その人は良くも悪くもそういう人間だと割り切っておいた方がこちらも気が楽だ。

悪く言う人に対しては反面教師として自分は気をつけようと思えばいい。

 

誰が何と言おうと何が何でも自分は達成するんだ!という不退転の決意が人生を切り拓く。今日がダメでも明日できればいい。その前進する気持ちを大事にする事だ。

 

自分がこういう風になりたいと思った事や正しいと思った事は実は間違っているかもしれないけど、行動して早く検証すれば次のステップにいける。

 

今の現状に感謝して前向きにいきましょうね。

さぼれば必ず悪くなるように正しく頑張れば必ず良くなる。

初めてフリーマーケットをやってみて学んだ事

家に絶対着ないだろうという服や使わない物があったので昔から参加してみたかったフリーマーケットに参加してみました。

市が主催という事で出展料も無料で自治体の皆様には感謝です。

今回はフリーマーケットをやってみて感じた事をつらつらと書いていきたいと思います。完全な主観です(笑)最下部に一日の売上報告があるよ。

 

物を買う時はよく考えましょう。

フリーマーケットで売っている物ってほとんどは販売者にとって価値のないものです。

当然、買う時には欲しい!っと思って買ってるんだと思うんですが、身の周りに自分が気に入って置いてあるものってごくわずかだと思うんです。

私の感覚的にはスーツケース1個で済んでしまうような量です。

 

それを上代価格(小売価格)で買って、しばらくするとその商品の価値ってゼロに近かったりします。

ヴェルサーチのスーツ(新品本物)が1,000円で売られているのを見た時はなんじゃそりゃって感じでした。だから私は買う物は厳選しようと思いました。

 

下記、まとめ。

■リセールバリューが高いもの

ほとんどの商品が買った瞬間にその商品は半値以下になっています。

私もタグのついた新品の服を1,000円で売る羽目になりました笑

高度成長期からは落ち着いていると思いますが、企業は物をとにかく作って売ります。

物はありふれているわけです。メルカリはそこに着目したんだと思います。

服に困る人なんていないし、食器に困る人なんて今はほとんどいないわけです。

 

ただ価値の落ちない不思議な商品もあります。

いわゆるリセールバリューの高いもの。

 

例えばROLEX。昔70万で買ったものが今では中古で80万くらいで売られています。

ベンツ。ベンツのリセールバリューランキング【最新2018年版】

トヨタのプレミオという車も凄いですよね。

金持ちはベンツに乗っているイメージですが、かっこつけたいからではなく金持ちはお金を減らしたくないからリセールバリューの高いベンツに乗っているわけです。

リンク先を参考にすると100万で買って70万で売れば30万でベンツに乗れたことになるわけです。リセールバリューの低い車を新品で買って損するより賢いですよね。

 

■価値が下がりきった中古品

先ほども書きましたが、世の中に物は溢れかえっています。

人口推移的にもいろんな物がこれから余ってくるんじゃないかな。

日用品を新品で買うのはあまり賢くないかもしれません。

メルカリをはじめ中古品市場がかなり一般的になりました。

中古で買うなんてびんぼっちぃ(方言?)とプライドがある人はお金に余裕がある人かもね。中古品でも十分きれいだし、機能しますよ。

なんならそれをまた売ってしまえばいいわけですから。

価値があまり変動しないので転売しても損は少なくて済みます。

 

■価値がつけられない思い出に残るもの

私は1本モンブランのペンを持っています。自分のサイン入りです。

これは25歳の転職する時に自分の思いを込めて作りました。

今買うと7万くらいだと思いますが、このペンは思い出が詰まっているので私からすれば7万以上の価値があります。同じ商品は売っているかもですが、同じものは買えません。そういうものこそ、その人にとって価値があるものと言えるような気がします。

 

■一生使うもの

気に入って一生使うと決めているものは買う価値があります。

私は先ほどのベンツではなく、この車を買ったら一生他の車に乗れなくて良いという車があります。

ランドローバー・ディフェンダー 110 XS SW(4WD/6MT)【試乗記】 走るタイムマシン - webCG

投資の運用益で買うのが夢です(笑)

貧乏な人は不必要なものをたくさん持っているイメージです。ゴミ屋敷みたいな。

時計でも安物の時計を何個も持っていたり、着ない服を大量に持っているイメージ。

金持ちの家はきれいで物が少ないイメージ。

高くても気に入ってこれを使い続けるとなれば、「2個目」を買わなくてもいいし、「2個目」「3個目」に悩む時間も浪費しなくて済むわけです。

一生使えるものとなればそれなりに値が張ると思いますが、上記の無駄に比べれば安いものかもしれません。高級品を身につけると良いこともあるしね。

「高級品」を身につける3つの利点 - h-man1987’s blog

 

■使いきれるもの

使い切って捨てられるものは買っても良いと思います。

例えば歯磨き粉とか、食品とか食事代とか。これはないと生きていけないし、無駄なく使い切れますからね。これも買うな!となれば生きていけまへん。

食事に行くときも誰と行くかというのは大事かもしれません。

これはまた書きたいな。

 

■転売できるもの

これは商売に興味がある人向けですが、フリーマーケットでたまにその価値以下で売られているものがあります。ちなみにモンブランのペンが1,000円で売られていました。今思えば買っておけば良かった!

売っている人が価値を認めていない、あるいは分かっていない、売る人を見つけられない場合にこういうケースが起こります。チャンスだと思ったら転売目的で買うのはありです(笑)

 

【結論】

結局、フリーマーケットを6時間やって売上は1万5,000円でした。

家の整理と上記の勉強代、お客さんとの掛け合いを楽しめたと考えれば、良かったと思います。

 

ただここにも書きましたが、自分の能力を磨いて年収を上げたり、出世して給料を上げたほうが断然ある意味楽だし、建設的です。

だから若い時は苦労しながらでも能力開発です!勉強!勉強!

勉強1時間あたりの金額 - h-man1987’s blog

 

皆さんもフリーマーケットやってみてください。面白いよ^^

 

【追記】

あと一つ、思い出したので書いておきます。

あるシャツをメルカリにフリマ前に出品していたんですが、メルカリで2,000円で売って欲しいという人が現れたのですが、私は2,300円ならと言った結果、売れませんでした。フリマならそれ以上で売れるだろうと思ったのですが、全く売り手がつかずに持って帰ってきました。

この価格を下回なければ、売ってしまうと決めておけば、機会を逃すことはなかったかもしれません。投資にも通じる考えですね。

チャンスの女神様は前髪しかないといいます。

一瞬、あ、いいなと思ったら即行動することも重要かもしれません。

勉強1時間あたりの金額

毎日勉強していると収入がないので基本、支出しかしないので貯金を取り崩す生活だ。

毎月給料が入ってくる時と違ってそれはそれで不安だ。

学生の頃はそんな意識は感じなかったな。親に食わせてもらってたから。

 

松下幸之助の言葉で下記のような言葉がある。

 「君たちは若い。給料は安くとも、その倍くらい働けば、その分は“社会銀行”に預金

したと思いなさい。やがて、それが大きな利息をつけて戻ってくる」by松下幸之助

 

 

この「社会に貯金をする」という言葉は様々な書籍に形を変えて度々、登場する。

 

私は今、勉強中の身だがそれが当てはまるのか考えてみた。

日本人の平均年収は422万円らしい(低過ぎない?ま、いいか)。

生涯賃金だと約2億5,000万という数字が出てきて計算が合わないが、話を単純化するために年収で考えます。

 

 

さすがに422万円は低いかなと思うのでキリの良い500万にします。

Aさんは23歳から働いて65歳に定年すると仮定すると

500万×42年=約2億1,000万円

生涯労働時間は

7時間×260日(年間休日105日の仮定)×42年=76,440時間

時給換算すると2,747円(だいたい合っているような感じがする)

 

ここで苦労人のBさん登場。

Bさんは1年浪人していて、おまけに単位取得の手続きを間違えるといううっかりで1年留年しました。俗に言うダメ人間のカテゴリーです。

彼はこのままではまずいと思い、2年かけて公認会計士の資格をとりました。20代はあまりお金がありませんでした。社会に出たのは27歳という社会的には一瞬、大丈夫かこいつと思われる人です。

 

公認会計士の平均年収は800万円らしいです。

800万円×38年=3億400万円(既にこの時点で1億円くらい違う)

10時間×260日×38年=98,800時間(残業多めで頑張りました)

時給換算すると3,076円。

 

(細かい計算の話は勘弁してね)

 

さてここで話を戻しますが、社会に貯金をするという話でしたね。

Bさんは3年余分に学生期間を過ごしました。これはBさんは学生時代はあまり勉強しなかったのでこの社会に出るのが遅れた3年は無駄と仮定しましょう。(人生に無駄はありませんよ)

 

ただBさんは2年間勉強して公認会計士という資格をとったことで9,400万円得たわけです。

 

1日8時間を365日×2年で5,840時間

5,840時間で9400万円を得たわけですから勉強1時間あたりの価値は

94,000,000円÷5,840時間=16,095

 

教育は最大の投資だといいますが、まさにそうですね。

ホリエモンが時給1,000円のバイトを否定しますが、まさにそうですね。

これなら借金してでも勉強した方が賢明ということになります。

若い時の苦労は買ってでもしろといいますが、それも正しい。

1時間1万6,000円稼げる仕事はなかなかありませんよね。

まさに勉強期間は見えない貯金をしている状態。

 

皆さん勉強頑張りましょうね!!

皆さん、夢は持っているだろうか。

「夢」という言葉はいろんな解釈があって、夢なんてもたなくてもいいというような書籍や夢は持つべきだ!みたいな書籍も売っていてどっちやねんって感じなのですが、それこそどっちでもいいと思っています。

夢という言葉を使わないとしたら自分の人生でこれだけはやって死にたい事と言い換えても良いかもしれません。

 

それって他人にどうこう言われることでもないし、自己満足・自己完結の話だと思うので考えておく事は無駄ではないと思います。

何故なら考えていないことは叶わないからです。

意図して起こさないと起きないわけです。

朝早く起きてランニングしてぼーっとした状態で外が静かなので人知れず私の人生でやりたいことをつらつら書いてみます。

 

①アイアンマン完走(35歳までに)

アイアンマンレース226キロ 壮絶な五島列島の坂 :日本経済新聞

海外で同じような大会があるんですが、それに出てみたい。

身体を鍛えたいというのもあるし、若いうちに自分の体力の限界追求したいと思っているからです。この他にも「過酷」と言われるスポーツはあるんですけど、自分はこれ以上は求めてません。これが出来れば将来の孫にも自慢できるしね。

来月、トレラン30㎞頑張らないとな…(汗)

 

②結婚して子供2人を育て上げる。

自分は結婚に向いてないと自己評価してるんですが、生物的に自分の子孫を残しておきたいという願望です。子育てする事で自分も成長できるというのを体験したいしね。

 

③専門能力を開発して業界で1番になる。

自分を磨いて大きな業界じゃなくても良いから1番になりたいんです。現在、勉強中です。自動車業界!とかメジャーじゃなくて良いです。昔、ギネス記録を取ったときにすごい充実感だったんです。ギネス記録ってある意味、しょうもないことばっかりやって世界記録を作ってます。

世界が認めたパンツの珍記録~ギネスワールドレコーズにかける夢と情熱~ - フリパン

パンツ何枚穿けたかとかまじしょうもないんですが、記録をとった本人からするとすごい充実感を得られるんです。やったらわかります。

人生は自己満足だとつくづく思うんですが、男にとって仕事はまさに人生において重要な要素の一つです。

だから今、この世の中にない分野でも仕事でも1番だといわれるようなことがしたい。

まだ少しこれは曖昧だな。

 

④年収1,000万円(額面でOK)

これは昔から思ってるんですが、何故500万でもなく、2,000万円でもなく、1,000万円なのかは分からないんですが、昔からこれくらいは欲しいと思い続けてます。

キリが良いってのもあるんですが、それ以上あっても使える限界はあるのかなと思ってます。これくらいあれば家族を幸せにできるし。30代で達成したいね、これは。

 

⑤総資産1億円

投資が趣味なので投資の運用益と元本の積み立てで60歳までに1億円欲しいです。ま、これはできるでしょう。

 

⑥世界一周旅行

これも時間が出来ればできちゃいますね。地球の規模を体感しておきたいです。

 

⑦上記の事を達成して更なる目標を設定する事。

 

言いたい放題で言うは易しなので今日も頑張りますー!

これがブログの良いところかもね。

気分が冴えない時の対処法

常にモチベーションMAX!バリバリ実行!!

みたいな状態を常にキープできるように工夫しているが、人間なのでそうもいかない時もある。

何だか無気力で身体がだるくて一日中ユーチューブを見てしまって罪悪感。

体調が悪いわけでもないのに何だかメンタルが落ち込んで体調まで悪くなってきそうな感じ。

普段、食べない身体に悪いものを食べてしまって更に悪循環。

何もする気が起きなくて、将来への不安が膨らんでいく。

片足、鬱に足を突っ込んでしまっている…そんな状態って誰でもあると思うんです。

なかったらなかったでそりゃ良いことですが、多くの人はあると思う。

そんな時の対処法を書き連ねてみます。

理屈は良く分からないんですが、気分は変わると思います。

 

①とにかく早く寝て、早く起きる

いろいろは置いておいて22時ぐらいに寝てしまいましょう。

夜は将来の考え事をするには向いてないと思っています。

早く寝ると早く起きてしまうので悩み事は朝考えましょう。

 

②ランニングをしてみる

朝早く起きれたら外に出て散歩かランニングしましょう。

不思議と走りながらネガティブな考えをすることはできません。

走り終わった時には前向きな気分になっていることが多いです。

 

③机の周りと自分の部屋を掃除してみる

目に余分な情報を入れると人間は無意識のうちにそれに関することを思い浮かべてしまいます。とにかく掃除をする!

 

④びっくりするくらい休んでしまう

悩む人というのは上昇志向の人が多いと思います。自分の目標に向かっていきたいのに行き詰ってしまってストレス。もうどうしたらいいかわからない…

そんな時は取り組んでいることから思い切って離れて遊んでしまいましょう。

真面目な人はきっと遊び過ぎたら、取り組んでいることに戻りたくなります。

不安になるくらい遊んでしまうというのもたまにはOK。

 

ま、こんなもんでしょうか…笑

お金は命

Time is money.という言葉は有名だが、私たちは働くことでお金を得る。

自分の人生という時間と引き換えにお金をもらっているという側面もある。

祖母が入院していてお見舞いに行って来た。

病院にいる人達を見ると人間の人生という時間は有限であり、いつかは終わりが来るんだなと思う。

 

病気にならず、健康で居続けるのが最も良いが、病気になった際にお金があれば、個室で入院できるし、高度な治療や予防策を受けることができる。

 

ある意味、病気になったとしてもお金があれば命を買えるわけだ。

(そもそも医者にかからずに死ぬまで健康でいたいものだが)

 

ただ不思議なもので自分の時間(命)を対価にもらったお金で行きたくもない飲み会にお金を使ったり、パチンコをしたり、高額な商品を買ったりする。

 

自分の命を使って自分のしたくない事や無駄遣いをするというのは残念な気がする。

 

自分の命の結晶であるお金を自分の命を削るタバコや過度の飲酒や風俗等に使うのは、ばかげているといっても良いと思う。

 

時間もそう。わけのわからない付き合いで時間とお金をかけて行きたくもない所に行く。あんた何してんのって感じだ。

 

本人の時間とお金なので何に使っても良いというのは大前提ね。

 

誰かにプレゼントするという行為も自分の命を相手にプレゼントしていることと同義だ。食事を奢ることもそう。奢られるほうはご馳走様です!で済むかもしれない。

 

奢る方もそんなことを考えていないかもしれないが、でも気持ちあっての事だと思う。

(考えすぎでしょうか?笑)

 

何が言いたいかというと自分の時間やお金は良く考えて賢く使ったほうが良いということ。当たり前の結論なんだけど…笑

でも自分の時間もお金も無意識に使っている人は多いんじゃないかな。

 

今、入院している祖母からは大学の入学祝いに腕時計を買ってもらった。

いわゆる高級なやつだ。

今は弱々しい祖母だけど、当時その金額を出してくれたわけだから感謝だ。

 

相手にその金額の腕時計を買ってあげるというのは余程の相手じゃない限り、今の私でもできない。

 

早くお金を稼げるようになろ~笑

お金≒命。

お金と健康と愛があれば幸せな人生を生きていける気がするな。

何事も本気でやるから面白い

勉強も仕事も趣味もスポーツも本気で取り組むから面白い。

余裕で出来ることを本人の範囲でやったって感動はない。

 

走ったことのないフルマラソントライアスロンを完走した時の感動はなかなか大人になってから体験できるものではない。

 

昨日のブログでも書いたが大人になったら本気でやるチャンスが少なかったりする。

 

良い高校に入り、勉強して良い大学に入って、良い企業に入ってからはエスカレーターのように社会人生活が始まる。

 

副業や起業が一般的になってきているが、最初に乗ったエスカレーターに定年まで乗り続けるのが楽だし、挑戦しなくても良いストレスも少ないかもしれない。

 

これは個人の価値観なので良い悪いではない。

良い企業に入ってお給料をもらって家族を養うというのも立派な事。

心から本当に素晴らしいと思う。

 

自分は何だか満足できない性分なので何かに挑戦したい。

達成した後の景色が違うからだ。

 

フルマラソン完走後はフルマラソンというのがどんなものか分かるし、ギネス記録をとった後は準備すればギネス記録なんて取れるのが当たり前になる。

 

山を頂上まで登ったら、そこからはもっと高くて綺麗な山がたくさんあった事に気付ける。

 

今まで手に届かなかったものが当たり前になり、次のステージが用意されている。

 

ただそれを味わうには何度も「できない」を味わったり、途中で投げ出したくなったり、自分にはできるのか…と思ったり、試行錯誤しながら達成に向かっていく。

 

その過程は本人は本気なので面白かったりする。

そしてその瞬間が知らず知らずのうちに成長している。

後から振り返ってみても良い思い出になる。

 

大人になってから成長する秘訣はやはりチャレンジにある。

大人は行きたいところに行く自由がある。

プレッシャーが人を大きくする

社会人になってからプレッシャーがかかる機会が少なくなった。

学生の頃はテストが定期的にあったり、部活の試合があったり、初めてトライする事がたくさんあった。それからは基本的には逃げることができなかった。

学生の頃は選択の余地がなく、プレッシャーがかかっている時にはもう人生が終わっちゃうんじゃないかってくらい当時の自分にしたら一大事だった。

 

しかし、前にも書いたが大人は逃げることができる。

会社が大人版学校という位置付けっぽいが、実はそこは自由な空間だ。

 

その仕事やりたくないなって思えば、何かに理由をつけて逃げることはできてしまう。

(やり過ぎると出世できないけどね笑)

 

でもどんな場面で成長したか振り返れば、プレッシャーがかかる場面でしか成長できなかった気がする。

 

人間は本当に弱く、言い訳の超天才だ。

時にそれは本人が言い訳だと自覚していない場合すらある。

だからもし自分が最近、楽だなぁっと感じるのであればそれは良くない兆候かもしれない。順風満帆で右肩上がりの人生がそりゃいいが、やることをやらない限り、良くはならない。

今の環境に慣れてしまったら「茹で蛙」になってしまう。

「ゆでガエル理論」とは? - 『日本の人事部』

 

私の場合は頑張る時と頑張らない時が極端なのであまり良くないと思うが、毎日ちょっと大変ぐらいがちょうど良いと思う。

 

自分のなりたい姿を描いて、それを毎日の行動目標までブレイクダウンして毎日粛々と頑張る。それが右肩上がりに良くなる鉄則な気がする。

 

だから自分で課題を設定してそれをクリアしながら自分のなりたい姿、欲しい物を手に入れていく人生が良いと思うんだな。

結果と過程どちらが大事か。

結果と過程、どちらが大事だと思いますか?

こういう議論って答えがないので盛り上がるんですが、私は最初「結果派」だったのですが、考えが変わって「過程派」に変わりました。

 

「結果を出せ!」「結果が全てだ!」

 

と良く聞く言葉です。

確かにそうなんだけど、私の場合、結果ばかり気になっちゃってぶっちゃけ疲れちゃいます。

例えば、ある試験に何としても合格したいと思ったら受かるかどうか不安ですよね。

 

あと何点あげなきゃ…、落ちたらどうしよう…、良い点とれるかな…

 

と考えてしまいます。

ただそれを考えている間は行動が止まっています。

それを考えている間はその結果に近づいてない時間なわけです。

人間なので結果を気にしてしまうというのは仕方がないことだと思います。

面白いのが心配すればするほど、一生懸命な気分を味わえることです。

何だかいかにもやっている感じを体験できるのです(笑)

 

フルマラソンを完走したければ止まらずに前に進むことです。

止まっていては絶対に完走できません。

ただ歩いていれば遅かれ早かれ完走はできます。

ご存知の通り、大切なのは「行動」なんです。

 

私は何でもかんでも頑張る必要はないと思っています。

会社の売上でも自分が納得できなければ「何でそんなもん売らなあかんねん」と思ってしまいます。

 

しかし、自分が本当にこれは達成する価値があることだと思い、達成すると「決めた」ことであれば、自分との約束としてどんな時間がかかったとしても達成しなければ絶対にダメだと思います。

 

何故ならそれは自分の人生を諦めることと同義だと思うからです。

自分には価値があって、自分の1回きりの人生を悔いなく生き抜きたいと思うのであれば、自分が決めたことは必ず達成した方が、自分にとっては良いと思うんだな。

 

ま、これは僕の意見ですから皆さんはご自由にね(笑)

好きなことを仕事にすべきか否か

今日のテーマは誰もが一度は聞いたことがある話だと思う。

 

「好きなことを仕事にすべきか否か」

 

いろんな解釈があって、本やテレビや訳分からん先輩風やらによって「辛いのが仕事だ!」とか「辛い時が成長しているんだ!」みたいな根性論が20代の私には刷り込まれた。よくある話だと思う。多くの人があなたに対して心から良かれと思って言っていると思う。叱咤激励する方も大変だからね。

 

でも今思うと部分的には合ってると思うんだけど、求めているものやバックグラウンドが人それぞれ違うから一部分だけを切り取っても伝わらないし、誤解してしまうと思う。

 

私は今無職で仕事から離れて3ヶ月目になる。訳もわからず社会に出てとりあえず8年働いたけど、純粋な自分が戻ってきている気がする。それは多分、高校生くらいから変わっていない。何故なら良いのか悪いのかわかんないけど、いわゆる「将来やりたいこと」つまり将来こんなことできたらいいなというイメージが高校生の時に思っていたことと変わっていないからだ。

 

高校生の頃は外交官に憧れた時期があった。英語を使って日本人以外の地球人と楽しくコミュニケーションがとれてお金がもらえるなんて最高じゃないかと思っていた。高校生だから職業なんて10個くらいしか知らないからそんなもんだ。

 

社会に出て知っている職業が100個くらいになったら自分のやっぱりなりたい姿が明確になってきた。一度の人生だから自分に正直に素直に生きて後悔なく死んでいきたい。この年齢になるとまじで人生考えてきて自分の理想に忠実に欲張って生きたい!と思うようになった。

 

youtubeのキャッチコピーで

「好きなことで生きていく」

というのがある。


好きなことで、生きていく - HIKAKIN - YouTube [ Long ver. ]

そして若い人のなりたい職業にユーチューバーが上がったのも話題になった。

多分それは「楽しそうだから、楽そうだから」という理由が多いんじゃないかと思う。しかし、やった人なら分かるけど、結婚式の余興とかで3分の動画を素人が作ろうとすると超々々大変だ。私は3週間くらいかけて3分の動画を作った(笑)

 

ユーチューバーを職業としている人はそれをほぼ毎日上げるわけだから大変だと思う。しかも毎月サラリーマンのようにお金がもらえるわけではなく、再生数が伸びなかったら飯も食っていけない。

 

ただ私は敢えて言うが好きなことを仕事にするべきだと思う。正確に言うと私が高校生の時に描いた夢のようなものを追いかけた方が本人は幸せだと思う。じゃなきゃ俺の人生は何だったんだ。人から言われたことをやるだけの人生だったと私は思うだろう。

 

ここで言いたいのは

「好きなことの為ならある程度の努力をするのは覚悟できて他の事をするよりはまし」

なことを仕事にすると良い。自分でもまとまらなくて日本語が訳分からない(笑)

 

人間のメンタルは性質的にヘタレとしてできている。大変なことをしたくないという生物的な何かなんだろうが、何もしなくても飯を食っていけるほど、世界は簡単にできていない。

 

ここで例え話。

今あなたは砂漠にいる。水1本しか持っていない。

どこかに向かわないとじきに死んでしまう。

見渡すと半径100キロ以上先にぽつぽつと建物が円状に点在しているようだ。蜃気楼のように建物が見える。近代的なビルもあれば古風な建物、森のようなものもある。山っぽいものもある。あなたはどこかにとりあえず向かわなければならない。

どこに向かうだろうか。

例え話終わり。

 

その目的地に向かうためには歩かなくてはいけない。

何事もあることを実現するにはある程度必要な努力ややるべき事がある。

それをやらずに生きていくというのは砂漠の真ん中で止まっているのと同じかもしれない。

 

向かっていった建物がだいぶ見えてきて廃墟だったことに気付いたらまた別の建物を目指す。それを繰り返せばきっとあなたがお気に入りの建物にはいつか辿り着ける。仮に見つけれなかったとしても自分の辿ってきた道については誇りに思えると思うんだな。

試験に受かりそうな人・落ちそうな人

(この記事は超主観的に書かれていますので参考になる部分だけお使い下さい笑)

 

私は今まで勉強時間が大量にかかる資格勉強をしたことがない。

最も勉強時間を要したのが大学受験、その次が簿記2級。あとはこまごま。

 

私は学生の時に正直言って勉強してこなかったし、勉強が特段できるわけではないと自分では思う。ただ今になって勉強の重要性に気付いて集中的に勉強している。

 

勉強の出来る出来ない、試験に受かる受からないは能力(脳力)や才能と言った正体不明なものに寄るところは少ないと私は思う。

 

全くもって自慢になるが、私は県内で一番の進学校に進学できた。

(親が塾代を払ってくれたおかげです)

中学校の時点で実力テストで2番だった。1番の友人も同じ高校に入った。

 

私は高校時代、部活とゲームに明け暮れ、受験勉強ほどほどに中堅私大に入った。

中学校で1番だった彼は東京大学に入った(笑)

 

言うまでもないが、1番の彼は勉強していた。

私が部活とゲームに明け暮れる間に彼は勉強していたのだ。

ここから推察するに高校入学時点までは私と彼はほぼ同じ学力だったが、勉強によって差がついたということがわかる。高校時代に私がアホになったというの前提は除きます。

 

話が遠回りしたが、要するに能力・才能うんぬんではなく、試験や資格に受かりたいければ「勉強すればいい」なのだ。笑(当たり前の事言うなよって感じですね)

 

「勉強をする≒試験に受かる」=集中力×時間×やり方

 

だと勝手に思っている。

 

私が毎日勉強している場所は大きな図書館だ。

そこには多くの受験生や資格試験に挑む人達がいる。

いろんな人がいてそこで受かりそうな人と受からなさそうな雰囲気の人の特徴をつらつらと書いてみる。実際の試験の合否は当然だが私には知り得ない(笑)

 

【受かりそうな人】

1人で勉強している。もしくは2人。

そして話さずにテキストとにらめっこしている。

 

【受からなさそうな人】

3人以上で来てお喋りしている。

 

【受かる人】

携帯が机の上に置いてない。

 

【受からなさそうな人】

携帯を机の上に置き、携帯に繋がったイヤホンで何かを聞いている。

 

【受かりそうな人】

常に手にペンを持っている。

 

【受からなさそうな人】

手に携帯を持っている。

 

【受からなさそうな人】

コンビニの袋が足元にあり、何か食べている。

 

【受からなさそうな人】

居眠りしている。

 

【受からなさそうな人】

みんなで誘ってどこか休憩に行って帰ってこない。

 

【受かりそうな人】

毎日定時に出てきて座ったらすぐに勉強を始める。

 

【受かりそうな人】

決まった時間に休憩をとっている。

 

【受かりそうな人】

眠たそうな時は短時間寝ている。

 

【受かりそうな人】

ペンケースが立っている。

 

 

まだまだたくさんあります。。。

 

 

こんな事書いているお前が一番、受からなさそうだわ!!!という突っ込みは承知の上です(笑)

 

私が適当に書いている記事なので試験の良し悪しとは全く関係ありません。

あしからず。何かの息抜きになれば幸甚です。

 

では勉強に戻ります(笑)

成果には従順に

多くのことには正しいやり方がある。

健康管理・人間関係・仕事・勉強・趣味・資産管理など…

多岐にわたってうまくいっている人とうまくいっていない人が存在している。

 

多くのことには「正しいやり方」が存在している。

でもうまくいっていない人は「自分のやり方」にこだわる。

 

確かに自分で考えてこれでいけるっしょと思って、うまくいったら何だか気持ちが良いし、自分を認めてあげたくなる。

ただそれは初めての事には通用しないかもしれない。

それでも自分のやり方にこだわる人はいつかは達成するかもしれないが、時間とお金を無駄遣いすることになる。

 

だから世の中に存在する「正しいやり方」≒「成果がでるやり方」に対しては素直に従ってみる価値がある。

ピカソだって若い頃はデッサンをかなりの量、製作したのは有名な話。

 

オリジナリティを出すのは基本に忠実にしてからでも遅くないかも。