エイチマンのブログ

トライアンドエラーそしてサクセス

初詣へ

昨日、京都の伏見稲荷神社まで初詣に行ってきました。我が家は商売屋の家系なのでお稲荷さんを信仰しております。

 

多くの方は麓の神社にお参りして稲荷山を回る程度かもしれません。伏見稲荷の歴史を調べると大変興味深いのですが、伏見稲荷には無数のお塚と呼ばれる祠があります。そのそれぞれの中に神様がいらっしゃいます。俗っぽく言えば、商売をやる人はその無数にいらっしゃる神様を守護神的な扱いで信仰しています。我が家も信仰している神様がいらっしゃいます。そちらにお参りに行きました。

 

私が伏見稲荷を訪れたのは子供の頃で鳥居が一杯あるお山だ、わーい。くらいにしか思ってなかったのですが、大人になった今調べてみるといろんな事が分かりました。

 

我が家が信仰している神様は御劔社と呼ばれる場所にあり、そこは平安時代の刀工 三条宗近が小狐丸という刀を鍛えたという話が残っている場所です。

 

実は我が家はかつて鍛冶屋でした。刀をカンカン打つあれです。分かっているだけで私は9代目に当たるそうな。私の苗字のルーツは九州のようで戦国時代に武将と共に九州の方から流れてきて土着したとかなんとか。だからこの神様を信仰しているのかと納得しました。そして私の顔は南方系の濃い顔をしています(関係ないか)

 

鳥居をおさめるのが伏見稲荷の習わしで私も奉納させていただきました。PayPayが使えず手持ちがなかったので21万円の巨大鳥居は諦めて3,100円の鳥居にさせて頂きました。

 

物凄い人出でしたが、不思議に思ったのがなぜ日本人はお参りがこんなに好きなのかという事。また伏見稲荷には大量の鳥居が建てられており、安くないお金を払って鳥居を立てるのが不思議だなと思いました。「ご利益があるから」という非常に非科学的な考えで物凄い人が神社や寺に集まるわけです。不思議ですね。

 

これについて私なりの考えを。お金を払って目をつぶって手を合わせると私の場合、「大事なものが身体の中心に戻ってくる感覚」があります。分かりにくい表現ですみません。日常の出来事にまみれているとこの感覚は忘れがちですが、とても大事な感覚だと私は思います。それを思い出させてくれるのがいわゆる目に見えない「神様」という存在です。目に見えないものに集中するということは非常に興味深い行動です。亀仙人みたいな神様が実在しているとは考え難いですが、「目に見えないもの」に集中するという行為は現実を作る上で大事なことだと思います。

 

伏見稲荷には多くの人の念と気が集まっているような雰囲気があります。多くの人が願うことで出来たような場所だと感じます。

 

思考の中に未来があると私は思っています。まさに心願成就です。それを明確にし、毎日それに集中すれば実現する。思考は目に見えませんが、毎日思い描く事がそれを叶える秘訣なのかもしれません。目に見えないものに集中する。非常に捉えにくい概念ですが、大事なことのように思えます。