自分を管理することは自分自身の事なのにかなり難しい。
自分の思うとおり、言ったとおり、現実がそうなるのであれば良いが、時に難しかったりする。特に長期間に及ぶものは毎日毎日のずれが積み上がって、最終的に帳尻が合わないということはよくある。
自分を管理できない人間は誰かに管理されることになる。
仕組みやルールが存在するのはその仕組みやルールを守っていれば、その組織は半自動的に一定の結果を出せるからであり、少しうがった見方かもしれないが、個人は思考停止の状態で給料がもらえるから非常に「楽」だ。そうは言っても個人で出来ない事をできるのが組織なので組織も必要だ。
うぇ~、締め日だぁ、仕事が多いなぁ、でもやらないとダメだからやるかぁ…という感じ。イヤイヤでもやれば組織的にはOKだ。そういう仕組みがあるから。
会社に所属する全員が自分を完璧に高いレベルでコントロールできれば、集団を規律するというマイナスニュアンスの組織というものは不要になると思う。でもそんな個人は多くないから仕組みやルールが必要になる。
陽明学に出てくる「知行合一」という概念があるが、現代で言う「言行一致」だ。
言う事とやる事を一致させる。というもの。
「今日昼飯にマクドナルド食べます」と言って食べるのは簡単だが、学習開始当初に「USCPA合格します」と言ってそれを現実にするのは容易なことではない。
このブログを含めて書くことや言う事は本当に簡単。
私も好きなことをここに書くだけで楽しいし、言いたいことを発散しているので楽だ。
ただここで言っていることの全てが私自身出来ているかと言われれば、出来ていない。このブログは皆さんに発信してはいるが、実は全て自分に向けて書いている。
話は戻るが、個人単位で自分を管理しようとすると会社が仕組みを作るように自分でルールを作るのが効率的だ。それは目標から落とし込んだ時間割を作って自分でそれに従うことだったり、習慣にしてしまうことだと思う。
当初の見込みと違ったとしてもやりながら微調整していけばいいし、それこそ健全な姿だと思う。
長期の目標に取り組んでいくと自分の悪い部分が露呈してくる。
私の場合、仕事でもそうだが、ざっくりで進めることが得意だが終盤、力尽きてきたり、細かい部分に力が行き渡らなくなったり、詰めが甘くなる傾向がある。
得意なことはほっておいても無意識に発揮できるので注意する必要はないが、悪い部分はかなり意識した方がいい。だから私の場合、終盤戦に突入したら意図的にもう一度、仕切り直してやり切る必要がある。出したい成果に自分を適応させる必要がある。
言ったことをやれる人間は社会的にも信用を集めることになる。
そういう人間は独立しても自律しているので成果を出すことができる。
社会の最小単位は個人だ。
だから良い国、良い会社、良い家族を作りたいなら100%個人の責任で「良い個人」になる必要がある。
今日は文章が長すぎる。
腹減ったので昼飯食いに行きます~
昼飯後、勉強午後の部、スタートです。