普段生活を共にしない人と数日間過ごすと自分とその人の「当たり前」が違うことに気付く。
仕事の時間はあまりそれに気付くことはないが、会社以外の時間はどのように使っても良いのでその「当たり前」が顔を出す。
例えば、食後にテレビを観るとか、他人への気遣いへの仕方とか、空き時間の使い方とか、私は観察するのが好きなので心の中で「へ~、そんなことするのか」と関心している。
それには良い習慣も悪い習慣も含まれるが、多くの人はその自分の「当たり前」に気付いていない。
習慣というのは思考の癖が生活に染み付いたものなので何か機会がないと変えるのは難しい。一生大きな習慣の変化がないまま終わる人もいるはずだ。
しかし世の中には定義はできないが、世間一般的に「当たり前」というのは確かに存在している。人それぞれ「普通」の定義は違うものの、言葉にはできない「当たり前」が社会通念上ある。
しかし、その社会通念から外れた「当たり前」を継続する人間がいるのも事実。
多くの人の「当たり前」の裏で並外れた努力を長期間継続している人や、多くの人が気付かないような事をやっていたりする。
(少し話は逸れるがし、新聞配達時代、朝2:40に出勤する途中で毎日ランニングしている女性がいたが、ランナーの端くれである私からしてもちょっと怖かった笑)
その中には世の中の「当たり前」のことを当たり前ではないくらい長期間継続していたり、すごい量をこなしていう当たり前ではないことをしている人がいる。
最近は何だかその「当たり前」ではない人々によって社会が大きく影響を受けているような気がしている。当たり前の人々がまるでターゲットにされているように。
当たり前の基準をあげていけば、当然のように自分の当たり前のレベルが上がっていき、自分が更に上のステップにいける。ここからはよくある1.01の法則に乗っかっていくと思われる。
1.01の法則とは1日ちょっと頑張る人間は
1.01×365日=37.7834になるが
1日ちょっとサボる(現状維持も含む)人間は
0.99×365日=0.02551となり
大きな差が生まれるよという有名な話。(ちょっと金八話法っぽいね)
でも経済学上、資源は一定と考えるので富が0.99の人間から1.01の人間に移っていくというのは自然な感じがします。
たまに自分の当たり前を他人と比較してみると良いですね。