こんにちわ。3ヶ月やった個別指導を辞める事にしました。いろいろと感じる事はありましたが良い経験になりました。人生何事も経験ですな。
私の教え子にI君という高校生の男の子がいます。彼は理系で英語が苦手なので塾に通っています。私が英語を教えています。
毎週、単語帳の単語テストをやります。1週間で100個単語帳から小テストをします。彼は毎回点数が取れません。30点くらいです(泣)
英語を勉強したことがある人なら分かると思いますが、ボキャブラリーというのは受験英語にとって非常に重要です。しかも覚えれば良いだけなのでやったかやってないかの差が結構出てきます。
テスト後
エイチマン:「1週間単語の勉強したのか?」
I君:「寝る前に単語帳開くんですけど毎日寝ちゃいます。(笑)」
エイチマン:「そうか、その姿勢は素晴らしい。前は全くやってなかったもんな。それはそうとして寝る前以外にやった方がいいんじゃないの?」
I君:「確かにそうですね(笑)」
エイチマン :「頼むぜI君(笑)」
というくだりを毎週やっています(笑)そして私の上司に単語テストの出来なさを叱られています。。。私の指導力の無さも大反省なのですが。。。
毎週単語のテストが出来ない状態が続く、改善が見られないというのは社会人的にはアウトです。(この「社会人」って言葉、便利に使われすぎてますよね。それは置いといて)
でも彼にはとても良い所があるんです。
それは授業の最初と最後に挨拶を必ずしっかりする所です。
「先生、こんばんわ!」「ありがとうございました!!」
毎回、しっかりと言ってくれます。とても気持ちが良いです。単語帳あんまりやってこないけど、彼の指導頑張ろうと思わせてくれます。
そんなの当たり前かもしれませんが、私も含めて「社会人」でも出来ていない人は一杯います。
社会的には単語の出来の方を評価されるのが今の評価軸かもしれません。ただ彼を見ていると単語の出来不出来よりも相手に感謝の気持ちをしっかり伝えられたり、挨拶ができる事の方が生きていく上では大事ウエイトが高いのではないかなと思わされます。
人間としての素直さ:仕事の出来=8:2
くらいでも仕事の不出来はカバーできるのでは?(極端ですかね)
会社でも仕事の効率は高くないけど、憎めない人っていませんか?そりゃ仕事も出来て挨拶とかもしっかり出来るのが良いですが、仕事の出来る出来ないは能力による部分もあります。でも挨拶が出来るとかっていうのは心というかパーソナリティーというか人となりみたいな部分なのでそれはそれで貴重な事だと思います。
もしI君が私の部下だったら仕事については懇切丁寧に教えてあげれば良い話だと思います。何回教えてもどうしてもできないとなったら「いい加減にしろ、この野郎!」となるのは簡単ですが、そこを我慢して育てるのが上司の役割なのではないかなと思います。
これは理想論かもしれませんが、そっちの方がハートウォーミングではありますし、そういう組織の方が私は人間ぽくて良いと思います。成果も当然大事だけどね。
I君に関して言えば仮に英語で芽が出なかったとしても彼は数学や物理が出来るし、活躍すると思います。私は逆に数学や物理は1mmも出来ませんからね。苦手な事は平均点で、得意なことで存分に花開けば良いと思いまする。(私は数学、学年最下位だったので平均点どころではありません…笑)