今日は貴重な瞬間に立ち会えた。一緒に働かれている人が64歳の仕事人生の幕を閉じる最後の一日だった。その方とは1ヶ月程しか一緒に働くことはできなかった。1ヶ月前に中途入社されたのだが、奥様の体調が良くなく、自宅で付き添いが必要な為、急遽会社を辞めざる終えなくなったのだ。
複数の会社で働かれてきたのだろうが、その方にとって約40年の仕事人生が終わる最後の1日だったわけだ。
引継ぎも終わってくると仕事もなくなってくるので手持ち無沙汰なご様子だった。64歳の方からすれば29歳の私なんて若造の何者でもない。口は悪いが、部下を育てようとしてくださる愛のある方だった。時間のない中でいろんなアドバイスを頂いた。自分の仕事人生で学んできたことを後進に伝えたい、そんな気持ちを感じた。
1ヶ月という短い期間だったので簡単な挨拶で周りの社員とは別れをしていた。
私は建物の外までお見送りをした。「どこの部署でもどんな会社でも頑張れよ。お前がこの会社を引っ張って行くんだぞ。」と言われて去って行かれた。哀愁とちょっとの寂しさが背中から感じられた。今日はそんな経験をしました。
男にとって仕事は人生の大部分を占める。女性の特権は出産・子育てで、男の特権は仕事にがっつり打ち込める事といっても間違ってはいないと思う。全然話は変わるが、戦国時代だったら戦をして領土を広げるのが当時のイカした男の生き様だったのかもしれない。現代は資本主義なのでどんな形であれ、男は仕事をする。仕事が面白みを感じれない状態だったとしたらある意味、不幸だと思う。男の人生は睡眠・仕事・遊びで出来ていると私は思っている。(今は独身ですので)
いつの日か必ず働けなくなる日が来る。その最後の日に自分の仕事人生これで良かったなと思えれば、その人は幸せだったと思う。もっとチャレンジしておけば良かったな…なんて思いたくない。
話はそれるが、前の会社を退職する時の事を思い出した。退職を上司に伝えたところ、有難い事に慰留された。収入も高くて周りも尊敬できる人ばかり、良い環境だった。でもその時に感じたのは俺が引退する時にはその上司はいなくて、もっとチャレンジしておけば良かったなと思ったとしてもその時の上司が責任をとってくれるわけではない。自分の人生は自分に100%責任がある。
自分が働く最後の日を鮮明にイメージしてみた。30名くらいの社員に囲まれて花束を受け取る自分。自分が育てた人材がこれからの会社を背負って行く。余生は資本主義とは無縁の事に本気で打ち込む。そんな感じ(笑)妄想が激しいとよく言われる。
ここだけの話、他人が作った会社を勤め上げたとしても達成感を感じる事は自分にはないと思う。自分が生きてきた道のりがはっきりと分かるものを残したい。
「鶏口牛後」
自分の願望を再確認できた日でした。