毎日は大小含めたら判断と選択の連続だ。小さいものは今日の昼飯は何にしようかなぁというのもあれば、結婚とか大きな判断もあると思う。そして中くらいの判断というのが結構迷う所かも知れない。そして最も判断の回数が多いのも中くらいの判断ではないだろうか。
昼飯程度の小さな判断は余程優柔不断な人でない限り、簡単に決められるだろうし、大きな判断は回数も少なく、慎重に考えることができる。
そして中くらいは「迷う」。
誰かに誘われたけど行こうかなぁ…とか
気になる会社の説明会があるけど行ってみようかなぁとか
応募があるけど出してみようかなぁとか
まぁいろいろあると思うんですが、こういう時、二つに分かれるような気がします。
迷ったらGO!か迷ったらNO!か。
両派存在しているので本当にどちらでも良いと思うのですが、私はもともと保守的な正確なので意識的に若いうち(いつまでを若いというの?)は迷ったらGO!にしようと思っています。
というのもGOして後悔した回数が少ないからです。それは自分で決めて行動したという納得感が支えているからかもしれません。うじうじしていてやっぱあの時やれば良かったな…というのは本当に取り返しが付きません。
迷ったらNO!というのは感覚を判断基準にしている人が多いような気がします。何だか心がざわつくからやめておこうとか。一点の曇りもなくYESと言えないからやめておこうとか…これはこれで良いと私は思っています。これは言葉で説明ができないんですが。大きい判断はこれの方が良いような気がします(笑)
中くらいの判断で迷ったらGOを推す理由としては、何か犠牲にしなくてはいけないものがあるならNOで良い(どうしても勉強しなきゃいけないとか)ですが、無ければGOで良いんじゃないかなと。大抵、犠牲にしなきゃいけないものなんてないと思うんです。どうせ行かなきゃ家でテレビ観てるだけとか寝てるだけとかね…笑 仮に時間が無かったとしても早起きするとかで作ればいいしね。
GOして良い結果でも悪い結果でもどちらにしろ、経験が手に入ります。経験はGOしない限り手に入らないわけです。だから即断りたいなと思ったものは即断って、迷うものはGOで良いんじゃないでしょうか。代償の方が大きいと思うほどの代償や機会費用があるのならNOでも良いと思いますが、それが無いうちは経験至上主義で行動するのが良いような気がします。「迷う」という現象は心は行きたいが、頭は行きたくないという状態だと私は思っています。
感覚一発で決めるというのもまた一理あるんだよなぁ…。