今日は大それたテーマだが、31歳の私が人生を語るなんておこがましいし、人生を分かったつもりで歩むことほど危険なことはないが、今のところの認識を記録しておきたい。興味ある人だけ見ていってね。
人生とは
大きな川をカヤックで下っていくようなもの
だと思う。
川の流れは上から下へ絶えず流れ続けていて、それに私達は基本的には身を任せることになる。
自力でたまに漕ぐことができて、ある程度、自力で行き先を決められるが、大きな流れには、さほど抗えない。抗ったとしても沈んでしまう。
だから心配してもしなくても流れに身を任せれば流れていくものは流れていく。
個人的な意見だが、多少自分で漕いだ方が面白いと思う。
進む方向は自分である程度変えられると思うから。結果が変わるかは分からないが、納得感は得られる。
そして多分この川は自分が思うよりだいぶ大きい。
漕がなくても大丈夫な人は本当に大丈夫。
ちなみにここまでは堀江貴文さんの著書に書いてあることにかなり似ている。
(ちなみにこの本を売りたいわけではありません笑)
上記は私のオリジナルの意見だが、私の洞察が優れている!と言いたいわけではなくて似たように感じる人もいるということ。
さらにここから堀江さんの意見は展開する。これは私もなるほど確かにと思った。
原文とは違うが、要約すると以下の通り。
堀江さんが言うには
流されている途中で果物が流れてくるそうだ。
それはチャンスだったり、自分一人の力では起こせないことだったり、目の前で起きる偶然や出来事だったりする。
堀江さんはその流れてくる果物はなりふり構わずとにかく食えと言っている。
そして不味いと思ったら吐き出せばいいと。
言い換えると気になったことはとりあえずやってみろということだと思うが、個人の浅はかなこだわりや考えで、流れてくる果物、つまり"gift"を拒むのはアホだという事。
それがとんでもなく美味しいかもしれないし、不味いかもしれない。
だから堀江さんはやりたいことをとにかくやりまくるだけだとシンプルに著書でメッセージしている。
一見私達が、「不幸」だと思うことも、「ラッキー」だと思うことも、食べてみないと分からないし、見た目が不細工な果物でも美味しいかもしれない。美味しそうに見えても毒があるかもしれないし、とにかく食べてみないとわからない。
そう考えると順境も逆境も中立な見方ができる。
と思いませんか?え…思わない?
どう感じるかはあなた次第です。
終わり。
全然関係ないけど、昨日献血に行ってきました。
帰り道に献血を呼びかけていたので一瞬ためらいましたが、前から行かないとなーと思いながら見て見ぬフリをしていたのでちょっと勇気を出して行ってみました。
誰もが献血って行った方が役に立つんだろうなと思いながらも注射のことを考えると怖くてやめると思います。少し「チャレンジ」に似ているような感じがしますね。
実は「やりたい」けど、頭で考えると「やめておきたい」。
相反する気持ちが同居するのが人間ですが、考えれば考えるほど、バンジージャンプみたいにできなくなります。そこには「やる」という選択でしか解決方法はありません。
看護師さん?に優しくぶっ刺してもらい、無事400ml献上いたしました。
ちなみに前回はちょうど10年前という記録が残っていました。
看護師さんに「次は約3ヵ月後からできますので来てくださいね~^^」
と言われたが、そんな頻繁に来る人いるの!?と思いながら笑顔でかわした。
これで10年間は献血カーを見ても良心の呵責に苛まれることはないだろう。
この記事を読んだあなた!
度胸試しだと思って次献血カーを見たら行ってください笑
あなたの献血に期待します。
何かいろいろ調べてくれるみたいですよ~。
ジュースももらえますよ。タオルももらえました。
血液を買い取るビジネスをしたら儲かるかも…。
(そんな簡単じゃないよね)