おはようございます。今日は地域で花火大会があり、それの縁日をやります。遊びに来てください。
昨日はUSCPAの試験をリスケしたので駅のスタバで勉強していました。家庭教師の予定も振り替えてもらっていたのでぽっかり空いてしまい、勉強していたわけです。というか勉強しなさいよ笑
そこに高校1年生の時の担任の先生が偶然現れたので声をかけました。今は関東の大学で地域連携や地域教育の教授をされています。
余談ですが、この先生のクラスで初めての試験で目標点にいかなかったら丸刈りにするという賭けをして、クラスの男子が半分丸坊主になりました。初日の数学でコケた私が丸坊主第一号でした。そして責任を感じられたのかわかりませんが、先生までも丸坊主になったというクラスでした。この先生の担当教科は化学で化学反応式の再試を3回も受けたのを覚えています。当時からお勉強あまりできませんでした。というか勉強してませんでした。その後私は大学でも800名中538番という素晴らしい成績で卒業することになります。
先生は現在、その分野では第一人者と呼ばれているほど、著名でこの後、講演会をするという事でした。そこで私は「私も参加したいです」と伝えたところ、快く招待枠で無料で聴講させて下さいました。
しかもその内容が目から鱗の内容で運命じゃないかというほど、今の私には感銘する内容でした。高校の担任の先生が今の詰め込み型の教育は意味がない!と言うから非常に興味深かったです。
いろんな予定がキャンセルになって偶然この講演会を聞けたわけで人生って面白いなと思ったこともさることながら、「遠慮」しなくて良かったなとも思いました。(人との出会いには意味があるといいます。神様が「あんたとあんた会っときなさいよー」という感じです。そんな時は遠慮して自らチャンスを捨ててはいけません)
「遠慮」していたらこの講演会も先生とのご縁もなかったかもしれません。
「遠慮」というのは日本人的には美徳な行動の一つかもしれません。
遠く慮ると書きますね。
何でこれ「おもんぱかる」って読めるか昔から気になってます。承るも一文字で「うけたまわる」って読めるの不思議じゃありません?こういうのを長訓読みというそうです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10185450420
よくよく相手の事を考えるのは思いやりがあって素晴らしいことなんですが、勝手に「悪いな」と感じて行動を抑制させるのは違うかなと感じます。
「泊まってけよ」「いやいやいや悪いんで」
「ご飯奢ってあげるよ」「いやいやいや悪いんで」
「いつでもおいでよ」「ありがとう(社交辞令ですな?)」
と勝手にこっちが慮るより「ありがとうございます!是非お願いします!」と遠慮せずに行動したほうが双方にとって良くなる事の方が多い気がします。
日本人の悪い遠慮は借りを作らせてしまうような、人様に迷惑になって悪いんじゃないかとか、消極的で言い訳的な「遠慮」が多い気がします。
人の為に何かをしたいという好意や意思をがっつり頂いちゃいましょう!
もちろん、本当に遠慮しなくてはいけない時は空気を読みまくって遠慮しますし、ご好意を頂いたらお礼は必ずしましょうね。
全然関係ないですが、東京マラソンにエントリーしました!当たれ!笑