おはようございます。拙速は巧遅に勝るということで朝ブログを書いています。新聞配達時に軒先にいる犬に声をかけるのですが、毎回吠えられます。早朝寝ている所を起こすように声をかけるので当然だと今日分かりました。
明日、京都から友人家族が泊まりに来るので家の掃除をしました。自宅に客人を招き入れるというのは非常に良い事だとどっかに書いてありました。そもそも汚いお家に客人は呼べませんから確かにそうだと思います。
そしてこの前読んだ本にトイレ掃除をする時は便器に手を突っ込んで掃除をすると何だか良いよと書いてあったので人生初便器に手を突っ込んで掃除しました。
便器に既に水が貯まっているのでそれを使いながら掃除できるのが便利だったのと未知なものが人生からひとつ無くなる事の自信みたいなものが生まれました。
「未知なものがなくなる」というのは人間に何故か自信を与えます。初体験をすると男女ともに何故か垢抜ける現象に近いものがあります。(わかりません?私には分かります)未知なものはどんどん試して既知なものに変えていきましょう。既知なものの先にしか見えないものがあります。
真面目な話に戻します。今回は自宅の便器を掃除しました。普段自分が使っている便器なので自分のものを掃除するので抵抗は少ないです。ただ外に出ると便器を掃除して下さる方もいらっしゃるわけです。駅のトイレとか図書館のトイレとか掃除してくださる人がいて綺麗な状態になっています。それを私達は当たり前のようにじゃんじゃか使うわけです。感謝の気持ちを忘れると人間は傲慢になってしまいます。
「井戸を掘った人を忘れない」
という言葉もあります。いつでも感謝の気持ちは忘れないような人間でいたいものです。両親への感謝は最たるものです。自分の両親を悪く言う人は自分自身を否定している事に繋がるので常に自分を肯定できない人が多いです。これは家庭教師の教え子にも教えています。
という事で皆さん便器に手を突っ込んで掃除してみましょう。
便器に手を突っ込んだことが無い人生か
便器に手を突っ込んだことがある人生か
どちらが良いと思いますか。え、どっちでもいい?
私もそう思います。
便器に手を突っ込んでいるだけではなくて読書も頑張っていますよ。