誰しも子供の頃はあった。
小学生の頃、私はとにかくザリガニを獲りまくったイメージだ。
地域のザリガニを全部とってしまうのではないかというぐらいにザリガニの場所をくまなく知り尽くしていた。とにかくザリガニを取ることに執着し、熱狂していた。
頭で考えず、身体がザリガニを求めて操られているようだった。
とにかく捕まえたいのだ、とにかく。理由はない。ザリガニを渇望していた。
今はそんなことはしない。ザリガニがいたらしばらく眺める程度だ。
誰しもそんな経験ってあるのではないか。訳もないのに没頭してしまう事。
誰から言われたわけでもないのにやってしまう事。
大人になると「社会常識」を身につける。
人間社会で生きていく上で大事なことなんだけど、この「社会常識」とは誰が作っているもので私達の人生にそこまで重要なものなのだろうか。
子供の頃、公共の場で大声を出したら親から注意された。
まぁそりゃ他人に迷惑をかけるのでNGなわけだが、大人になった今、公共の場で大声を出せと言われたら大人の方ができないかもしれない。
子供は訳なんかなく、声を出すという衝動につき動かれて、とっさに大声を出す。
とにかくやりたいのだ。訳もなく。
私達でもとにかくやりたいことがあると思う。
私も海外のIRONMANを完走したいと思うし、子供が2人欲しいと思うし、年収は1,000万欲しくて、アラスカで釣りがしたいし、経済的にも精神的にも幸福でいたく、人生を味わいつくしたいと思っている。
そこに理由なんてない。
とにかくやりたい!食べたい!知りたい!行ってみたい!体験したい!ただそれだけ。
でも大人はそこに「でも…」が入る。
この「でも」を作っているのが「社会常識」だと思う。
子供はとにかくやってみたいのだ。そしてその後、学ぶ。
あ、これはやっちゃうとこうなるのね。
でも自分の「やりたい!」という衝動を無下にするとまず自分が幸せになれないんじゃないかなと思う。
絵描きさんとかミュージシャンとかは自分に誠実で素直でそれを貫いた結果なんじゃないかと思う。
もしかしたら私も世界一のザリガニおじさんになれたかもしれない。
今は全然なりたくないが…。